『女二人のニューギニア』


文化人類学者で友人の畑中幸子が滞在する、数年前に発見されたシシミン族が暮らすニューギニア奥地を訪ねた滞在記。

想像を絶する出来事の連続と抱腹絶倒の二人の丁々発止。

面白くないところがひとつもない。

50年以上経っても古びない、奇跡のようなエッセイ。


まず、3日間野宿をしながら山という山、ジャングルを踏破しなければ(車が通れる道などない)到達できない場所で、フィールドワークに勤しむ日本人女性人類学者がいたというのが、凄まじい史実だなと感服。

そして、そこへふらっと遊びに行くようなつもりで、なんの覚悟も持たずに足を踏み入れた有吉佐和子さんもまた、さすが作家と言うべきか。

素晴らしいエッセイでした。


『一年は保証すると言ったのだからと、それから後も私は三日ばかり続けてテアテアに水を汲ませ、未練とも恨みともつかぬ気持で、片方のホースから水を入れ、茶色い水を黒く変色させる作業を執拗に続けていた。
いったい、なぜこういう事態が発生したのか、私には理由がわからない。
三カ月も前に荷造りし、送り出したときから思い描いていた夢が、こういう形で打ち砕かれるのはやりきれなかった。(略)

「日本へ帰ったら、あの航空会社のエージェントと、このロカ器の製造会社には火をつけて焼き払うか、爆弾でも仕掛けてぶっ飛ばしてしまうか、この二つに一つしかないぞ」と私は決意していた。』

上品な文章の中に突如現れる、激しい怒りや恨み。

いや、物騒すぎるやろ!と突っ込みつつ、思わず笑ってしまう文才の言葉たち。


『「(略)木の葉や木の実なんて、あなたにとっては研究調査の対象でしょう?だけど私は熱帯植物に特別の関心もないし、食べてみたいと言ったって、食べなきゃ死んじまうという絶対必要のものじゃないでしょ。私は、どうでもいいことと、そうでないことははっきり区別しているのでね、どうでもいいことは、本当にどうでもいいのよ」
「ふうん、そんな考え方、私は軽蔑するわ」
畑中さんは捨て台詞を残し、テアテアたちシシミンを引連れて出かけてしまったが、私は軽蔑されたって少しも傷ついていなかった。』

『「あんた記憶力もの凄ういいんやなあ。学者になっても、いけたかもしれんわよ。作家にしとくの惜しいわ」
畑中さんが心中で小説書きなどという人類に貢献するところのない仕事を、まったく認めていないことは前々から知っていたが、パンツの型紙で作家以上の能力があると褒めてもらえようとは思いもよらなかった。』

このふたりは、しょっちゅう言い合いになるし、歯に衣着せぬ物言い合いをするしで、本当に仲良し!?と驚かされ続けました。

私のコミュニケーション感覚からすると信じられないやりとりばかり。

信頼関係ありきとかそういう話ではなくて、言葉に抉られない強い心が素晴らしい。

『軽蔑する』なんて言われて、全く動じない心臓が、ただただ羨ましい。

自分軸で生きる二人の女性たちのつよさ、しなやかさが眩しくてたまりませんでした。


それから、有吉佐和子さんの文章の魅力といえば・・・

『それと私は方向音痴、地理音痴、カメラ音痴と三拍子揃っている上に、どこへ旅行をしても日記はつけたことがないので総ての記憶がごちゃまぜになったり、曖昧モコとしてしまう。』

『袖なしのブラウスに半ズボンという不断着の畑中さんは、そのまま、あっというひまもなくドボンと飛び込んだ。』

『独身青年ポリス二人がヨリアピに赴任して間もなく椿事が起こった。』

「曖昧模糊」を「曖昧モコ」と、崩した表現にしたり、
「普段着」を「不断着」、「珍事」を「椿事(ちんじ)」と、漢語的クラシカルに綴られていらっしゃって。

そんなところもたまりませんね。


フィールドワークの過酷さが、アラフォー女子たちの真っ直ぐな言葉で語られた、力強い作品でした。

貸してくださったお姉さまに感謝して。

半世紀のときを経て、いま『青い壺』がベストセラーになっているそうで。

そちらも気になっている私です。


紋佳🐻

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