『明治のナイチンゲール大関和物語』
NHK朝ドラ「風、薫る」原案!
明治時代、「カネのために汚い仕事も厭わず、命まで差し出す賤業」と見なされていた看護婦。
家老の娘に生まれながら、この「賤業」につき、生涯をかけて看護婦の制度化と技能の向上に努めた大関和。
和は離婚して二人の子を育てる母親でもあった。
和とともに看護婦となり、彼女を支え続けた鈴木雅もまた、二人の子を持つ「寡婦」であった。
これは近代日本において、看護婦という職業の礎を築いた二人のシングルマザーの物語である。

『「和さん。鹿鳴館で開かれる『婦人慈善市』の手伝いをしませんか」と声をかける。
「井上外務卿夫人から、人手が足りないので適当な人がいたらぜひ呼んでほしいと頼まれてね」
「慈善市とは、どのようなものですか」
「英語では、チャリティーバザー。不用品、といってもそれなりに価値のあるものを持ち寄って販売し、その収益を寄付するんだよ。大山陸軍卿夫人を中心とした『婦人慈善会』の主催で、収益は有志共立東京病院に寄付され、附属の看護学校を作るために使われるそうだ」
有志共立東京病院(現東京慈恵会医科大学附属病院)は、明治一五(一八八二)年に海軍軍医の長、高木兼寛が設立した日本初の民間施療(無償診療)病院である。』
こ、これは・・・!
先日観劇した『須らく、一歩進む』の話だ!
と、ひとりで大興奮。
高木兼寛がメインの作品を観劇してきたのですが、まさにこのチャリティーの申し出を婦人から受けて―という場面がありました。
あの舞台裏に、大関和さんが生きていたのだと思うと、感動も一入でした。
『アメリカでチャリティーバザーを経験している捨松は、政府高官がやってくると、「学校建設にご協力ください」と言い値で品物を買わせ、「これはバザーですので」とおつりも渡さない。
婦人慈善会の幹部たちもそのやり方を真似、自分の夫がやってくると、次々と高いものを買わせた。
髭をたくわえた偉そうな男たちが、妻の前でたじたじとなっている姿が、周囲の笑みを誘う。』
奥さまの手のひらで転がされる夫たちに、こちらも思わずくすり。
一夫一妻制がまだ法令化されておらず、妾の存在が認められていたり、貧しさゆえに娘を遊郭に売る親が多くいたり―
女性の人権運動が盛んだった時代は、遠い昔のようにも感じますが、それでも、どの時代も女性はたくましいなあと、なんだか励まされる気持ちになりました。
看護婦(とあえて表記)を育成する教育機関を立ち上げることの困難さや、
蔓延する伝染病(感染症)を医学的に治療しようとしても、なかなか村人の理解を得られず苦しむ様子には、拝読しながらこちらまで憤ってしまうほど。
国を、世間を変えてくださった勇気ある皆さまに、心からの感謝を。
しかし、ナイチンゲールとも称される活躍の裏で、寮生活や単身赴任ゆえに、愛する子どもたちと十分に会えぬまま、その子どもたちを亡くされたという話には、胸が締めつけられる思いでした。
『夏の日差しに乾いた住宅街の小道を自宅へと進んでいると、生垣の向こうの縁側で、若い母親が五歳くらいの女の子の髪をすいている。
その様子を目にした途端、和の瞳からひと月分の涙が堰を切ったように流れ出した。
自分は心の髪をすいてやったことがあっただろうか。着物を選んでやったこともなければ、一日の出来事をゆっくりと聞いてやったこともなかった。
和が自宅から看護学校の寮へ戻るときの、あるいは東京から高田へ発つときの心の寂しそうな顔が浮かび、あふれる後悔を抑えることができない。
自分は一生、この後悔を抱えて生きていくに違いない。』
偉業を成し遂げた人物が、いわゆる「普通の人生」を送ることは難しいのでしょうね。
家族と過ごす時間を犠牲にして、この国のために尽くしてくださったのだと思うと、頭が上がりません。
その使命感と行動力に、心からの敬意を。
歴史は苦手な学生時代でしたが、大人になってようやく、自分と地続きにある世界に興味と感謝を持てるようになりました。
母でもあるいま、出会えてよかった作品です。
紋佳🐻










ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません