『イン・ザ・メガチャーチ』


沈みゆく列島で、“界隈”は沸騰する―。

あるアイドルグループの運営に参画することになった、家族と離れて暮らす男。

内向的で繊細な気質ゆえ積み重なる心労を癒やしたい大学生。

仲間と楽しく舞台俳優を応援していたが、とある報道で状況が一変する女。

ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側―

世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を炙り出す。

「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」


ようやく拝読いたしました!!

読みたかったよー。

令和に生まれるべくして生まれた物語、という感じがしました。

そしてこのテーマを扱ってくださったのが朝井リョウさんだったことも、本当にありがたい。

これは朝井さんにしか書けない。

ありがとうございます。


『勘違いしていた。自分の場合、視野は拡げるより狭めるべきだったのだ。
地方の田舎町で「目の前のお客様に笑顔になってもらえれば」とか「日常の中の小さな幸せを大切にしています」等と話す喫茶店の店主のほうが広く世界を飛び回るあらゆる分野のスターよりなぜだか人生の真髄を理解している雰囲気を醸し出すように、視野を狭めれば自ずとジャッジの目線は減り、やるべきことが定まり、心身は安定する。』

『つまり、どの角度から見ても間違いなく本質的に正しい答えなんて、どこにもない。
どこかで、"'この視野で、ある程度の確率で、間違う”と覚悟を決めるしかないのだ。
その事実を受け入れず、可能な限り本質的でありたいあまり、そして誰からも攻撃されたくないあまり、さらに視野を拡げるべく視点をどんどん後ろへ引いていくと、いつの間にか誰の姿も見えないくらいに自分だけが全てから遠ざかっている。
そうなるともう、何の行動にも出られなくなる。
全ての角度からの審判を体瞰できるまで視野を拡げることは、誰とも何とも連帯できないほどこの世界から遠く離れることと同義だからだ。
本質的であろうとすればするほど、何の行動にも出なければどこからも裁かれないという考えに呑み込まれる。
そんなことに何の意味があるんだとか、それが最適解じゃないのにとか、そんな冷笑だけが両手に溢れ、人生の砂時計をただ眺めているだけになる。』

正解や答えを求め続けることは、果たして幸せなのだろうか。

求められ苦しくなるくらいなら、世界を狭くすればいい。

狭い世界の中では、確かな安心感とともに己を消費していくことができる。

朝井さん節がこれでもかと炸裂していました。

帯に「原点のような作品」と書かかれていた意味が、よく分かります。


特に現実の軸と内面の軸とを、数行ごとに行き来するあのテクニック。

物語を一気に加速させる起爆剤のようで、胸の奥を掻き回される感覚にざわざわしました。ひゅー。


ああ、結末の続きが読みたい。

いや、想像しなければ。

だって、朝井リョウ作品の読者なのだから。


#インザメガチャーチ

#朝井リョウ


紋佳🐻

読書