『中村仲蔵』は、ハッピーエンドか。


去年チケットを購入して、ずっと楽しみにしていた『中村仲蔵』観てきました。

明日が千穐楽、だというのに、どの俳優さんも疲れを感じさせない、素晴らしい舞台でした。


神田伯山さんの講談に感動してからというもの、俳優仲間に広めるほど夢中になった『中村仲蔵』。

その舞台化!藤原竜也さんで!ということで、観ないわけにはいきません。


なるほどー!その人が、その人だったのかー!とか、

懐かしの外郎売りを堪能できたりとか、

感動ポイントも随所に。


伯山さんの中村仲蔵は、下克上に対する『執念』のようなものが、毒々しくて堪らない。好き。

対する藤原竜也さんは、「母の愛に報いたいという呪縛」や、「芝居に魅せられ支配される」・・・という、『弱さ』を軸に、どんなにもがいても逃れられない運命に翻弄される仲蔵で。

痛快さでいえば、やはり伯山さんの方が圧倒的だったのですが、

一方で、確かに舞台として、藤原さんの仲蔵としては、あれが正解なのだとも思いました。


多かれ少なかれ、「母親」って子どもにとって呪いだよなあと思うわけですよ。

その言葉が、視線が、存在が。

娘だろうと息子だろうと。

親子ってなんなんだろうな・・・

どうしたらお互いに解放されるんだろうな・・・

ハッピーエンドに見えなかった私は、「母親という業を背負っている」のだなと思います。


カーテンコールの音楽がとてもよかった。

仲蔵のまるで夢の中、まるで走馬灯の延長のようで。


『中村仲蔵』の『イ』の色を変えようと思った人、本当に凄い。

『人』という字が、鮮烈に記憶に残る観劇体験でした。


紋佳🐻