祖父の遺した作文。


実家の建て替えに伴い、亡き祖父の作文が出てきました。

『思い出づるがまゝ』というタイトル。

生きた筆跡に吸い込まれるように、気が付いたときには引き込まれていました。


中学時代からはじまり、時代は戦時中へ。

『重機関銃部隊なので体力的な苦労は筆舌につくしがたいものでした。
しかし不思議なことに君の為、国の為、家族の為に戦わねばならない運命と悟り、死の恐怖感は超越していました。何回か遺書を書かされました。』

国の為に、遺書を書かなければいけない時代。

その壮絶さ、計り知れません。


『部落に一ヶ月も駐屯すると支那人と仲よくなったものでした。
彼等は何処かの国が来て治めてくれてもよい。私達が幸福に暮らせるならば・・・日本軍に永くいてくれとも言われた。
当時の支那の人達は日本軍がいなくなると馬賊に襲われる事もあり気の毒に思った。
戦争こそは人類の悲劇である。』

戦争と一括りにされる歴史も、個を通してみれば、色んな事情が見えてくる。

「気の毒に思った」の言葉に、祖父のやさしさを思い出します。


『東京へ出て見た。上野のアメ屋横丁通りに汁粉屋がでていた。
支那にいる頃、甘い物等食べられなかったので、一杯五円の汁粉を立て続けに二杯食べた時はとてもうまかった。』

立て続けに二杯。

祖父の笑顔が目に浮かびます。

祖父と暮らしていたときに、祖父がいつも食べていたものを思い出しました。

ヤクルト、わさび漬け、ペヤングのカップ焼きそば―

好きなものは、ずっと変わらず好きな人だったなぁ。


『お陰様で妻、長男夫婦、孫と五人家族で幸福に過ごしております。
かえりみるに、有為転変、波乱万丈の人生でした。』

五人家族。

まだ、妹が生まれる前の話だけど、祖父が戦争を体験した時代が、私がいる世界に繋がっているという実感が、切実に湧いてくるのでした。


締めくくりはこうでした。

『人類の幸福を願って。』

どんな小説よりも身に染みる、宝物のような作文でした。


孫には変顔ばかり。むかし話を滅茶苦茶なストーリーにしては、笑わせてくれた祖父。

おじいちゃんに、いま、会いたい。


紋佳🐻

家族