『賢い子はスマホで何をしているのか』


「スマホに子守りをさせないで」―

2021年からプログラミング教育が必修化されたものの、 それでも子育ての現場は、旧来の価値観が依然、根強く残り、 子どもがスマホやタブレットに触れることを一切よしとしない風潮もあります。

しかし、誰しもがデジタルデバイスと付き合う時代、はたして、その価値観のままで本当にいいのでしょうか。

幼い頃からデジタルに親しむことで拓かれる創造性は、AIとともに働く未来を生きる子供たちにとって、決して無視できないものとなりつつあります。

MITメディアラボの客員研究員を経て2002年よりNPOを立ち上げ、日本のデジタル教育を先導してきた社会起業家が、子どもとデバイスの正しい付き合い方について考えます。


最寄りの図書館に扱いがなく、人生初の「相互貸借(そうごたいしゃく)」で、県立図書館からお借りした本。

ありがたいです。


『19世紀の外科医が現代の手術室にやってきても、何ひとつ仕事ができないだろう。それぐらい医学は進歩した。
でも、19世紀の教師がやってくるなら、なんとかやっていけるはずだ。教授法はこの150年間、変わっていないからだ』

『かつて学校は最先端の場所だったと言います。
家庭ではまずお目にかかれないグランドピアノが置いてあった。
顕微鏡だって、高価だから家庭で買えるものではなく、学校にしかなかった。
視聴覚室のビデオ設備だって、家庭にビデオデッキが入るずいぶん前から装備されていた。(略)
最先端のテクノロジーが揃っているという点で、子どもをワクワクさせる場所だったのです。』

『といっても、社会全体が豊かになったので、かつてのようにハード面だけではワクワクさせるのは難しいでしょう。ソフト面でワクワクさせるのです。』

大人たちは毎日、パソコンやスマホを使っている(子どもたちも家に帰れば使っている)のに、学校では未だに、黒板にチョーク、ノートに鉛筆という「デジタルを排除した」やり方から抜け出せていない。

そんな中、コロナ禍で生徒にタブレットが行き渡ったことは、日本のデジタル教育のための、いいキッカケになったというお話には、深く共感。


デジタルを用いれば、実際にはできない実験の結果を計算することができたり、譜面が読めない子でも作曲ができたり、自由な発想を形にして世界に向けて共有することもできる・・・

知的好奇心、探究心を養うことこそが、これからの教育では大切であることが、よく分かりました。

それと同時に、アナログ故の教員の負担も、どんどん減りますようにと、願わずにはいられません。


また、子どもとスマホとの向き合い方については・・・

『育児放棄された子どもには、スマホしか楽しみがないのかもしれない。』

という言葉にはっとさせられました。

スマホ依存を心配する親が多いけれど、「公園に行こう」と言えば、子どもは夢中になっていたスマホも、即時手放すはず。(公園の方が楽しいから)

遊びの「ワン・ノブ・ゼム」として夢中になる分には(生活リズムを崩さない程度なら)、スマホの使用は問題ないのでは、という考え方、とても良いですね。


また、STEAM教育〈Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学・ものづくり)、Art(芸術・リベラルアーツ)、Mathematics(数学)の5つの単語の頭文字を組み合わせた教育概念〉についても、理解を深めることができました。


それにしても、プログラミングが身近な、デジタルネイティブ世代の子たちの中には、「社会問題に対する当事者意識」があって、社会をより良くするために自分にできること(役割)を、当然のように考えられる子たちがいるのだそうです。

パソコンがあれば、スマホがあれば、何でもできるということ(無限の可能性とその影響力)を、幼少の頃から肌で知っているのですね。

未来に対して、子育てに対して、希望を抱かせてくれる1冊でした。


紋佳🐻

読書