『おいしいごはんが食べられますように』


第167回芥川賞受賞!

「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」

心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。

職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。

ままならない微妙な人間関係を「食べること」を通して描く傑作。


タイトルから想像していたのとは、全く異なる内容でした。

美味しいものが好きな人は、カルチャーショックを受けるかも。


『おれなんか、こうして居酒屋で食べる日以外はコンビニ飯ばっかりですよ。おにぎりとかパンとか』

『咀嚼するのが面倒くさい』

『仕事から帰ってすぐ、一時間近くかけてつくったものが、ものの十五分でなくなってしまう。
食事は一日に三回もあって、それを毎日しなくちゃいけないというのは、すごくしんどい。』

『マンションに向かって歩きながら、お腹が減ったなと思い、それが面倒くさくて仕方ない。
お腹が減らなければ何も食べなくていいのに、お腹が空くから何か食べなければいけない。
帰り道にコンビニとスーパーがひとつずつある。どっちに寄ろうかと考えながら歩くのは気が重かった。』

おいしいものが、おいしそうに描写されたグルメ小説は数あれど、こんなにも食べ物に対して無関心な登場人物を描いた物語って、なかなかありません。

でも、きもちは追いつかないのに、

(ああきっと、どこかに、こういう人がいるんだな)

と、その文章力を前に、説き伏せられてしまうのでした。


『ちゃんとしたごはんを食べるのは自分を大切にすることだって、カップ麺や出来合いの惣菜しか食べないのは自分を虐待するようなことだって言われても、働いて、残業して、二十二時の閉店間際にスーパーに寄って、それから飯を作って食べることが、ほんとうに自分を大切にするってことか。(略)
帰って寝るまで、残された時間は二時間もない、そのうちの一時間を飯に使って、残りの一時間で風呂に入って歯を磨いたら、おれの、おれが生きている時間は三十分ぽっちりしかないじゃないか。
それでも飯を食うのか。体のために。健康のために。
それは全然、生きるためじゃないじゃないか。』

食事をとることが幸せだと思えるのは、恵まれているのだと、肝に銘じて。


『分かると思ったが、分かると言うと分かってないと思われる気がして言えなかった。』

言葉では説明しにくい、説明のつかない対人関係の機微も、細やかに綴られていて。

自分の生き方を、見つめ直すきっかけになる、そんな一冊でした。


ハッピーエンドでも、バッドエンドでもない、置き所の無い終わり方。

こういうのも、たまには良い。


紋佳🐻

読書