『氷柱の声』
語れないと思っていたこと。
言葉にできなかったこと。
東日本大震災が起きたとき、伊智花は盛岡の高校生だった。
それからの10年の時間をたどり、人びとの経験や思いを語る声を紡いでいく、著者初めての小説。
第165回芥川賞候補作。
家族が全員生きていて、家がぜんぜん大丈夫だったわたしに何かを言う資格はない―。
被災地に住んでいた人みんなが、家や家族を失ったわけではないのに、「被災した人」というだけで、「外の人間」から一律に可哀想だと思われたり、がんばってねと励まされたり・・・
そういう言葉が、「被災地にいたけど幸い無事にいられた人」たちを傷付け、苦しめていたんだなあという「新しい視点」に気づかせてくれた物語でした。
くどうさん自身が、
『震災について「語っていい」のは、それが許されるほど深い傷を負った人か、「進んで責任を負える人」だと思っていた。』
と語る立場の当事者だった、からこその視点ですね。
「感謝」、「絆」、「がんばろう」・・・
そんなきれいな言葉でしか被災地と繋がれない自分が当時、嫌で仕方がなかったのを思い出しました。
主人公の職場の先輩の言葉、
『うまいものをたべる。人と会う。それが生きるってことよ』。
岩手の凍えるような冬に、ジビエ料理居酒屋で、赤ワインを飲みながら鴨しゃぶを食べ、楽しい時間をそんな言葉で締めくくられたら、生きていることに感謝してしまうだろうなあと心が痺れました。
いのちのありがたさよ。
紋佳🐻
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