『どうしてわたしはあの子じゃないの』


閉塞的な村から逃げだし、身寄りのない街で一人小説を書き続ける三島天は、ある日中学時代の友人のミナから連絡をもらう。

中学の頃に書いた、大人になったお互いに向けての「手紙」を見つけたから、30才になった今開封しようというのだ―。

他人との間で揺れる心と、誰しもの人生に宿るきらめきを描く、感動の成長物語。


閉鎖的な「村」という世界の中で、一緒に育った同級生。

女子ふたり、男子ひとり。

よくある三角関係にみえて、ただただきれいな青春だけで終わらないのが寺地さん。

冒頭から結末まで、サラサラと流れうねり続ける「生きづらさ」という渦に、読み手は静かに身を委ねることしかできません。

為す術なし。恐ろしい。


こういう小説は、読むタイミング次第で受け取ったときの温度やかたちが全く変わってくるタイプ。

「30代2児の母」である私が目を向けてしまうのは、主人公たちよりも、やはりそのお母さんたちの方で。

シングルマザーで、軽食屋を営み家計を支える母親、
東京から引越してきて、「嫁」という立場に押し込まれる母親、
子どものためと踏み込みすぎたせいで、一生親子関係がこじれた母親―

どうしたって、そちらに思い巡らせてしまいました。


『どうしてわたしは寺地はるなじゃないの、と、ずっと思ってきた。
私は寺地さんと同じ年に単行本デビューをした作家で、いわば同期であり、友人でもある。だが、(後略)』

から始まる、伊藤朱里さんの解説もよかった。

『万人向けに量産された「大丈夫」ではなく、自分の人生にとって必要な「大丈夫」を与えてくれる。
この作品のそんな唯一無二の力が、こういう時代だからこそ「自分のためだけの言葉」を必要とする方々に、正しく届くことを願っている。』

敬愛の心を感じました。


寺地さんの本は・・・世間一般で言われているように、確かに「癒される」んだけど、浄化される前に試練があって。

読んでいると、とても苦しくなるんですよね。

だから好き。

癒されたくて癒されたくて、どこかで自分自身を受け止めてほしくて、頁をめくる手が止まらなくなる。

そういう作家さん。


明るい未来が描かれているわけじゃない。

だから救われる人がいる。


紋佳🐻

読書