『7本指のピアニスト』


15歳から始めたピアノで無理と言われた音大に入学、和菓子屋でアルバイトをしていた頃に世界的ピアニストに誘われNYへ。

数々の有名ホールの舞台を踏み順風満帆だったはずが、ある日、医師から「一生ピアノは弾けない」との宣告を受ける。

病気のため両手合わせて7本しか指が動かないNY在住のピアニストが起こしてきた数々の奇跡。


西川さんの恩師からの言葉、

『個性を出すことと、書かれた楽譜を自分の好きなように勝手に変えることは違う』
という言葉にはっとさせられました。

「楽譜に書かれた音符」は、「台本に書かれた台詞」と置き換えることができて。
自己表現は恐れてはいけないけれど、作者の意図をたいせつにすべし。
ただし、後者ばかりでは生き残っていけない。


また、リンカーン・センターの大ホールでのコンサートを打診され、コンサートまでの準備期間が短すぎると断る西川さんに、恩師が伝えた言葉、

『完全な準備ができるのを待っていたら、いつになるかわからない。
必ずきたチャンスは逃さずに摑むこと。まずはやってみるんだ。
それから、自分ではだめな演奏と思っていても、人から見れば素晴らしいと思われることもある。
自己評価をあまり低くせず、自信を持つことも必要だよ。』

芸能、表現の世界はまさにこれですね。
ご縁が巡ってきたら、自信を持ってぶつかりに行く、つかみ取りに行く、そういうエネルギーがなによりも必要な世界なんだなあと改めて思いました。


数々の大曲を演奏してきた人が、ジストニアに罹り、子供たちの前でリクエストされた「きらきら星」さえ弾けなくなる、その悔しさ、絶望たるや推して知るべし。
そんな中でも、ピアノを弾き続け、またオペラにデビューして歌を披露するという西川さんの精神力のつよさ、本当に尊敬します。


出てくる演奏会場の名前に(最近どこかで聞いたような・・・)と思って調べたら、
『激レアさん』にご出演だったということがわかりました。

面白いトークだったのでよく覚えていたのですが、まさか「難病で手が動かないピアニスト」だったとは、当時観ていたときは思いませんでした。

明るくて社交的で、努力の天才。
本からも伝わってきました。


「見返し」(表紙の次の無地の紙)が2枚あって、黒と赤。

ピアノみたいで素敵な装丁。


紋佳🐻