『「やりがい搾取」の農業論』


「ずっと豊作貧乏」

「キレイゴトの有機農業」

「スマートじゃないスマート農業」

民俗学者兼農家の論客が明かす「泥まみれの現実」。

「日本社会の食糧生産係」の役割をふられた戦後の農業界では、「豊作貧乏」が常態化していた。

どんなに需要が多くても、生産物の質を上げても、生まれた「価値」は農家の手元に残らなかった。

しかし、いまや食余りの時代である。

単なる「食糧生産係」から脱し、農家が農業の主導権を取り戻すためには何をすればいいのか。

民俗学者にして現役農家の二刀流論客が、日本農業の成長戦略を考え抜く。


庭で畑いじりができるような家に住むようになってから、素人ながら始めた家庭菜園ですが、「作物を育てることの難しさ」を、痛感する毎日・・・。

そんな悩みを解決するべく、毎朝家事をしながらYouTubeで、農家さんやその道のプロの方のアドバイスを聞くのを日課にしていて。

そんなこともあって、農家さんの技術や知識、経験の豊かさを、心から尊敬しているので、「世間の農家さんに対するイメージ」と、自分が抱くイメージのあまりの落差に驚きました。

(勝手ながら、「地元のレンコン農家さんたち=大変な仕事だけど、お金持ち」というイメージすら持っていました。誰に聞いたんだろう・・・)


60年代後半の全共闘運動や、第二次安保闘争、その後の日本赤軍などの新左翼過激派の台頭といった、反権力的な社会運動から流れてきた元活動家たちが、政府が提唱する近代農業のあり方にも疑問を持ち、『反権力の象徴として有機農業を選択した』、という歴史も興味深かったです。

共産主義的な考え方が基盤にある農業(農協といった組織)の背景には、そんな歴史もあったんですね。


カイワレ大根等のスプラウト野菜を生産する「植物工場」の取材もおもしろかった。

「工場で生産する」と聞くと、システマチックで、愛情のない現場、と、つい私も想像してしまっていたので、

機械で生産するからこそ、通常の農業よりもさらに「種一粒一粒の個性」と向き合い、その変化にその都度「人間が対応していかなければならない」、という内情は新鮮でした。


最近では、生産者さんの顔の見える野菜が増えてきたり、ブランド力のある野菜も見かけるようになってきたけど、それでも、

「キャベツはこれくらい」、「ピーマンはこれくらい」、「にんじんはこれくらい」・・・と、値段や価値が一般化され過ぎている。

どんなに美味しいキャベツを作っても、100円で叩き売られてしまう―

一消費者として、安心安全で、瑞々しくおいしい野菜が食べられるなら、私は、多少値上がりしてでも、『その農家さんから買いたい』と強く思います。(超高級なものは買えませんが、、)

だから普段、スーパーに行く前には産直市に寄って、地元の農家さんの野菜を買ったりするのですが、

スーパーもどんどん、野菜に対して個別に評価し、「ここの畑のトマトは絶品だから!」と、堂々とした値段で売りつけてほしいなあと思うのでした。


コロナ禍になって、お金の使い方を考え直した時に、「どこでお得に買うかじゃなく、誰から買うか」(応援したいお店、人にお金を使おう!)と、決意している私にとっても、読んで意義のある1冊でした。


紋佳🐻

読書