『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』


日本語の「女ことば」は、日本人に根付く「性別の美学」。

ドイツ語翻訳家が女ことばの歴史や役割を考察し、性差の呪縛を解き放つ。


『いま、私たちが「女言葉」として認識している「だわ」「のよ」といった言葉づかいの起源は、明治時代の女学生の話し言葉です。ただ、当時は正しい日本語とは扱われず「良妻賢母には似合わない」「下品で乱れた言葉」だと、さんざん非難されていたのです。
女言葉が正当な日本語に位置づけられたのは、朝鮮半島や台湾などの植民地でとられた同化政策の中でのことです。(略)
戦後は日本のプライドを取り戻すため、女言葉はさらに称賛されるようになります。その中で、「女学生のはやり言葉」だったはずが、起源を捏造され、「山の手の中流階級以上の良家のお嬢さまの言葉」だったと喧伝されるようになります。
日本女性は丁寧で控えめで、上品だという「女らしさ」と結び付けられ、「女ならば女言葉を使うはずだ」という意識も生まれました。』

言葉って本当に面白い。

現在では「女性らしさ」の最たる象徴である女言葉が、実は明治時代では「下品だ」とされていたのに、為政者の都合によって推奨されて、ここまで浸透しただなんて。

(いつの時代も、女学生・女子高生の言葉を生み出す力は本当にすごい!)


『ずいぶん前のことですが、翻訳を担当したドイツ人作家が来日して、二日ほど案内したときのこと。歌舞伎座やデパート、レストラン、どこもかしこも女性ばかりなのを見て目を丸くした彼は、「日本の男性はどこへ行ったんですか?」とわたしに尋ねたものでした。
西洋諸国が「カップル社会」なら、日本はさしずめ「男女棲み分け社会」といえるでしょう。
けれども、根底にある考えは同じです。どちらにも「女は愚かで弱い」という大前提があり、それが西洋では「だから、俺のそばを離れるな」となり、日本では「だから、ひっこんでろ」となっただけのこと。』

「騎士道」と「武士道」の男尊女卑観のちがい、興味深いです。

西洋の物語に登場する、王子に守られるプリンセス像は、まさに「騎士道」に則った物語ですね。


そういえば小学生のとき、「わたし」ではなく「うち」を使うの流行っていた時代がありました。

あれはきっと「わたし」が醸し出す女性性に対する忌避だったに違いない。


それにしても、引用してくる作品の多さに驚嘆!

古典文学からいまをときめく作家さん、海外作品から漫画作品まで、そのバラエティ豊かなこと。

素晴らしい読書人生を送られているなあと羨ましくなりました。


紋佳🐻

読書