『帆立の詫び状 てんやわんや編』


デビュー作『元彼の遺言状』が大ヒットし、依頼が殺到した新人作家はアメリカに逃亡。

ディズニーワールドで歓声をあげ、シュラスコに舌鼓を打ち、ナイアガラの滝で日本メーカーのマスカラの強度を再確認。

さらに読みたい本も手に入れたいバッグも、沢山あって。

締め切りを破っては遊び、遊んでは詫びる日日に編集者も思わず破顔の赤裸々エッセイ。


小説以上に、その「帆立節」が炸裂しているエッセイ。

痛快で、愉快で、ますますファンになってしまいました。


『バッグは女の名刺とどこかで読んだが、それはその通り。バッグを見れば、その人が何を思い、何を重視しているのか分かる。
私にとってバッグは相棒であり、憧れであり、希望であり、生きがいでもある。』

確かに、自分のバッグ選びの基準は一貫して、

「本を出し入れしやすいポケットがある」、「茶色の革製」・・・と決まっている。

私は、いわゆるブランドもののバッグなんて、これまでも、これからも、一生欲しいと思わないのだろうなと思う一方で、そんなふうに夢中になれる財力が羨ましくも。

(魅力を感じる感じない以前に、そこには諦めがあるような気がする)


『だが同時に、冷たいものが腹の底に沈むのも感じていた。私たちも遅かれ早かれ死ぬのである。少しでも長く生きようと足掻いてみたりしても、せいぜい数十年の違いであり、地球の歴史からすると誤差の範囲である。(略)
翌朝、ホテルで出てきたホットコーヒーがかなり美味しかったことも思い出す。人生の重みはその程度なのかもしれない。意味とかないんだろうなあとも思う。でも、それはそれでいい。美味しいホットコーヒーが飲めただけでも、生まれてきてよかったと思う』

度々私も、その渦に呑み込まれる、「生きている意味とは」。

どうせ死ぬし、何も残らないし、頑張る意味なんてあるのか・・・いつだって虚無感に苛まれます。

帆立さんなりの答えに触れることで、なんだかほっとする自分がいました。

そうだよね、美味しいもの、大切な人たちに出会えただけでも、生まれてきた意味はあるのかもしれない。それで、いいんだろうなあ。


『イベントなどで「中高生に向けてメッセージを」」と頼まれると、つい「勉強したほうがいい」と言ってしまう。知識がないと他人を尊重できないと思う。優しさというのは、知識に下支えされている。マジレスすぎて中高生は白けた感じになるのだが、それでも「勉強しろおばさん」として今後もやっていこうと思う。』

素晴らしいメッセージ。

我が子らにも、この考え方で葉っぱをかけたい。


『女版・池井戸潤さんみたいな、人間ドラマのあるミステリー小説を書きたい』

初めは、母校(高校)の後輩ちゃんということで読み始めた帆立さんだったけれど、いまではただの一ファン。

これからの作品も楽しみです!


紋佳🐻

読書