『3年間ホケツだった僕がドイツでサッカー指導者になった話』


ライター・指導者として、サッカーの世界で活躍中の著者。

でも、高校では3年間「ホケツ」でした。

上手くなければ試合に出られなくても仕方ない―

そんな常識にとらわれず、サッカーと生きる道を求め、ドイツへ旅立ちます。


『(略)いや、プロサッカーの指導者になるのは、まったくイメージできない。きっとプロで活躍した選手が、プロの指導者になるんだろうな。僕にチャンスはない。
夕日が大聖堂にかかっていくのを眺めていると、ふと思いついたことがあった。
プロじゃなくて「グラスルーツ」でならどうだろう?
僕がいま日本で接しているような、どこにでもいる、サッカーが、好きな子どもたちへの指導を専門に、勉強するっていうのはどうだろう?
プロの指導者を目指す人は、きっと多い。
専門的な大学やプロクラブで学んで、しのぎを削って、最先端の戦術論を戦わせて、日夜サッカーを研究している人たちがいる。そこは彼らに任せよう。僕がどうこうしなくても回っていく世界だ。
それよりも「僕じゃなきゃ」というもののほうが、おもしろいじゃないか。』

プロの世界は、自分がいなくても回っていく。

それならば、グラスルーツ(プロやエリート以外のすべてのサッカーをたのしむ人たち)を指導したいと閃いた中野さん。

『僕は育成指導者を目指そう!
グラスルーツのエキスパートになろう!』

こういう夢・目標の設定のできるひとってつよいですね。

まっすぐに努力ができるし、ブレない。


『握手して、ハグをして、手を振る。再会を願ったあいさつが、僕の心に反響する。
ミュンヘンでできた友人たちと別れて、またひとりになる。電車の中で、ざわつく何かを抱きしめて、僕はいつまでも車窓から、真っ暗な夜の景色をながめていた。』

唐突に出くわす小説のようなうつくしい文章にも、癒されました。

日本語がきれいなひとって、指導者に向いていると思う。とても。


『今考えればその言葉は、まだまだ自分が「未熟な外国人」だと見られていたことの表れだったのかもしれない。でも、当時はその助けがありがたかった。
自分でがんばることは大事だけど、まだ力が足りないときは、助けてもらえることをありがたく受け入れればいい。
いずれ僕が教える側になったときに、助けを必要とする人の力になってみせればいいんだ。』

この考え方が、本当に素敵。

馬鹿にされているのかもしれない、それでもいまはその助けを踏み台にして、いつか自分が誰かを導いてあげればいい・・・と。

なんだかもう痺れました。


決してトップリーグではないけれど(ドイツの10部や9部)、指導者・ライターという仕事のかたわら選手として活躍し、最後には引退試合も催されて。

『続けるには、実力が必要なんだと思っていた。』

上には上がいる世界に身をおく者のひとりとして、「人生における幸せ」についてじっくり考えたくなるような余韻でした。


紋佳🐻

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