『自意識のラストダンス』
南海キャンディーズ・山里亮太さん帯推薦!
「僕以上に「自分なんて」って言ってる人に初めて会った。絶望からの脱出方法じゃなくて、絶望の抱きしめ方を教えてくれる、そんな本」
「やればできる!」の隣で「やってもできない」と嘆く男がいたー
自意識と幸福の間で悩み苦しむ男が贈る、笑いと苦悩の赤裸々エッセイ爆誕!
野球の強豪校に進学し法科大学院にまで進んだ秀才、売れっ子芸人としてメディアにも引っ張りだこ。
一見すると順風満帆の人生のようで、「やってもできない」と悩みもがく「僕」がいた。
悟りを開くほどの辛い練習・しごきの果てに甲子園一歩手前でサヨナラ負け、何事も人の数十倍はやる真面目な性格、極貧の駆け出し時代、相方は映り自分は見切れたTV番組、そしてその果ての円形脱毛症。
「そんなことないよ」と言われればさらに苦しくなり、自分も幸福もわからなくなる無限沼へ・・・。
果たして前田は、「幸せ」を見つけることができるのか。

―
こんなはずではなかった。
僕が神奈川県の瀬谷にある堀病院で誕生した時は、その可愛らしい笑顔が眩しい光を放ち、深夜にニワトリがその光を朝日と勘違いしてコケコッコーと高らかに鳴いたと言われている。
瀬谷市の住民が揃って目を覚まし、それ以来、日本で瀬谷だけ少し一日の始まりが早くなってしまったそうだ。(略)
如何に恐ろしいことであろうか。
その輝きは今や路傍の石である。
軽石として踵の垢を落とす用途に使われるのが関の山だ。
―
「はじめに」がとにかく暗い。重い。救いがない。
芥川かと思いました。
嫌いじゃないです。
とある章の締めくくり、
『僕はこの時期のことを、青春と呼ぶことにした。』
ああいいな。
前田裕太さん、すみません、あまり存じ上げなかったのですが、彼女のためにネイル技術を身につけたり、ワンピースを作ってあげるために国会図書館で勉強したり・・・
なんて、真っ直ぐな人なんだ。
消防士をめざしていた高岸さんと、コンビを組むことになったいきさつも良かった。
サンドウィッチマンさんが復興支援で活躍する姿に憧れて、という高岸さんと、
弁護士になるか、芸人になるかで揺れつつも、高岸さんとならたのしい未来があると信じられた前田さん。
野球部で出会い、苦楽を共にした戦友だからこそのコンビだなと。
「じゃない方」の苦労を綴ったエピソードの数々には・・・
―
コンビで呼んでもらったロケの台本に、僕の名前がなかったこともあった。
現場のスタッフに「僕はどうしたらいいですかね」と聞くと「後でナレーションになる部分を、この場で言ってくれたらいいよ」と伝えられ、色々な言葉を飲み込んで、その仕事に従事したのだった。
その場にいようがいまいが差はない、その旨の扱いであった。
―
読んでいるだけで胸が痛みました。
恐ろしい世界だ。まったく。
それにしても。
これ、フォント何だろう。
見慣れないフォントで、そちらも気になって仕方がなかった。
行書のような筆跡。
「し」が「L」みたいな形。
幸福とは何ぞやと、フィンランドに滞在したときのエピソードは、前田さんらしい視点で綴られていて。
これまで読んできたどんなフィンランド本にも載っていなかったようなエピソードに、感心しました。
―
スマホのスクリーンタイムという機能がある。
どれだけの時間、スマホを起動していたのか分かるものなのだが、日本にいた時の僕のスクリーンタイムは4時間であった。
これも短い方であるという自負があった。
だが、フィンランドの人間のスクリーンタイムは1時間前後である、とフィンランドの大学生が言っていた。
その程度で文明の利器を頼る時間差足りるのだ。
―
電車の中でスマホを出している人がいない。
道端の路上パフォーマンスを撮影している人がいない。
このスマホを不要とした暮らしにおける心の余裕・・・たいせつだよなあと思いました。
私もやりたいことをやっていながら、苦しかったり揺れていたり。
他人事ではない内容に、首がもげそうになるほど頷くのでした。もげないけど。
紋佳🐻









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