『ヤクザときどきピアノ』


潜入ルポで知られるライターが新たに踏み込んだのはピアノ教室だった。

とはいえ、闇をあばくわけでなく、52歳にして、純粋に楽器を習い始める。

「練習すれば、弾けない曲などありません」というレイコ先生とのレッスン。

たちはだかるABBA『ダンシングクイーン』。

動け俺の10本の指。

発表会の結末は・・・。

ピアノには人生を変える力がある。

あなたにとってのピアノを探せ!


暴力団関連記事を書くライターさんが、ピアノ教室に初めて訪れたときの導入が、もうおもしろい。

『教室の防音スタジオには、ヤマハ製のグランド・ピアノが鎮座していた。久しぶりに見る憧れの楽器は、艶々と黒光りしていて、子供の頃に感じた荘厳さが確かにあった。
ドアを閉める際、ついクセでわずかだけ開けてしまった。警察が急に踏み込んできても、取材相手が監禁罪に問われないようにという配慮なのだが、ピアノ教室では、音漏れの原因になるので本末転倒というか、俺の自然体はどうしても世間からずれる。』

ドア、開けておくのがクセなんだ。

どんな職業病だよ、おもしろすぎる。


『ピアノ業界に抱いていたイメージは、実像とまっく違っていた。クラシック・ピアノの世界はエレガントというよりスポ根に近く、『ベルサイユのばら』というより、『あしたのジョー』であり『スラムダンク』であり『弱虫ペダル』だった。』

こんな例え方もカジュアルで、いや「ヤクザ専門誌」の編集長だった人でも、こんな感じの言葉の選び方もするのねと驚きました(偏見)。


『彼らは音楽という芸術の探求者であるが、インスピレーションを実現するために途方もない努力をして誇らない。
レイコ先生も、自分探しとか自己表現とかいうふんわりした理由を受け付けない、硬質な専門教育を受けてきた雰囲気をまとっている。
人を殺したことのあるヤクザが特別なオーラを放っているのに似ている。』

本当かよ、と思わず突っ込みたくなる文脈も鈴木さんだからこその表現方法。

おもしろい。


先生の弾いてみせた「カンパネラ」に対する衝撃の例え話も個性が強い。

『強い連打に移行した刹那、衝撃波が俺の頭を横殴りにし、火薬がはじけ、突き飛ばされるような感覚があった。三十年前、ロサンゼルスで経験した光景がまざまざと蘇った。』

・・・から続く次篇のタイトルが、『拳銃で撃たれた日』。

いやピアノ教室からの飛躍がすごいな。


『あなたにとってのピアノがみつかりますように。』

で締めくくられる「増補」の部分。

昨年5歳の息子のピアノ発表会で、一緒に連弾を弾かせてもらったことを思い出しました。

ひさしぶりに触るステージ上のグランドピアノは、弾けば音がホールに羽ばたいていくような軽やかさがあり、美しい音を生み出す喜びを改めて感じたのでした。

自分も受験を理由にピアノ教室を卒業し、それ以来ピアノを弾いてこなかった人間。
(初めて付き合った彼氏に振られてヤケクソになり、大学の生協で電子ピアノを衝動買いした時期を除いて)

それが、息子のお陰でまたピアノを弾くきっかけをいただき、当時よりも人生経験を積み、かつ職業柄ステージ上に立つことにも慣れ、「ピアノで自分を表現するたのしさ」「息子とアンサンブルをするたのしさ」を味わうことができたのでした。


大人になってから新しいことを始めたり、ずっと昔にやめたことを再開したり、そういう感動はきっと人生をとても豊かにするのだと、私も思います。

素晴らしい作品をお貸しくださった、ピアノ弾き&クラリネット吹きのお姉さまに感謝して。


紋佳🐻

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