『国宝 上〈青春篇〉』
俺たちは踊れる。
だからもっと美しい世界に立たせてくれ!
極道と梨園。
生い立ちも才能も違う若き二人の役者が、芸の道に青春を捧げていく。
芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をW受賞、作家生活20周年の節目を飾る芸道小説の金字塔。

映画を拝見してから、原作を拝読。
映画版は登場人物を省略していたりと、設定が大きく違うところもあって、やはり小説版の方が諸々納得できるのでした。
『喜久雄自身はさほど映画に興味がなかったのですが、東京行きは時期尚早、かといって低迷する大阪での少ない歌舞伎公演だけに出ていても体が鈍るという半二郎の勧めで、ならばと出演を決めたのでございます。』
映画版では、喜久雄は「努力の天才」「センスの塊」のように描かれていた印象がありますが、原作では『素人に毛が生えたようなもの』という現実的な評価の元描かれています。
チヤホヤされながらも、ほどなく飽きられて仕事が減っていく流れも腑に落ちました。
『(略)竹野が考えに考え抜いた復活劇というのが、小野川万菊という大きな後ろ盾とともに、俊介自らが本流であることを世間に証明するような本格的な舞台に立たせることでありました。
その際、竹野のあたまにあったのは、三代目半二郎の名跡を奪った喜久雄を完全な悪役にして、分かりやすさを求める世間の関心を引こうというものでした。』
一方で俊介が万菊の元で返り咲くように仕向けた影の立役者が竹野だったとは驚きました。
映画版ではただの第三者として冷静な視点として置かれているけれど、原作では物語の要となる欲深い存在として描かれており、とても印象に残りました。
・・・竹野だ!
何かが物足りず探していたピースが、ここにありました。
下巻ではまた竹野が喜久雄を表舞台に戻すのかしら。
だとしたら竹野の心情、思惑が恐ろしい。
『・・・あなた、歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないんでしょ。・・・でも、それでいいの。それでもやるの。それでも毎日舞台に立つのがあたしたち役者なんでしょうよ』
使われる状況は異なるけれど、キーとなる重要な台詞は映画版のあらゆるところでも使われていました。
状況や場面が違っても台詞の重みを活かしきっている脚本家さんの腕の良さにただただ感服。
「青春篇」とあるから、大人になる前までかと思いきや。
映画でもかなり中盤・・・を過ぎたあたりまで描かれていて驚きました。
よしよし、ここから先、たくさん綴ってくださっているのですね。
これは下巻、さらに期待できる。
紋佳🐻









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