『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』


それは、「かわいそう」でも、「たくましい」でもない。

この本に登場する女性たちは、それぞれの人生のなかの、わずかな、どうしようもない選択肢のなかから、必死で最善を選んでいる。

それは私たち他人にとっては、不利な道を自分で選んでいるようにしか見えないかもしれない。

上間陽子は診断しない。

ただ話を聞く。

今度は、私たちが上間陽子の話を聞く番だ。

この街の、この国の夜は、こんなに暗い。

―岸政彦(社会学者)

沖縄の女性たちが暴力を受け、そこから逃げて、自分の居場所をつくりあげていくまでの記録。


生きるために、キャバクラや「援助交際」を続けてきた10代から20代の女性たちの記録—そう聞いて読む前は正直、少し身構えていました。

どれほど重たい言葉が並んでいるのだろうと。

しかしページを開いてみると、暗闇のなかで必死に灯りを探す彼女たちのつよさでした。


『こうしたなかでも、恋人の暴行は続いていた。鈴乃は「このままでは殺される」と思い、何度も警察に駆け込んでいる。でも、入籍していないカップルの暴行は保護の対象ではないといわれ、鈴乃は警察署から追い返された。』

社会は助けてくれない。

目の前にいのちの危険を感じている少女がいながら、救えないルールを前に憤りを感じました。

それでも、ルールに縛られない、誰かの愛の手は差し出される。

そんな大人に私もなりたいと心から思いました。


『病院には暴行の傷痕をメイクで隠しながら通っていたが、看護師たちは鈴乃が暴行を受けていることに気づいていた。
看護師のひとりは、「病院はいつでもあいているから、何かあったら逃げておいで」と言った。別の看護師は、自分の携帯番号を書いた手紙を渡し、いつでも連絡してほしいと告げた。
その病院に駆け込むことも、電話をかけることもなかった。それでも鈴乃は、その手紙の一枚を手帳に挟み、いまも毎日持ち歩いている。』

使われることのなかった電話番号。

それでも、その紙切れがお守りのような存在だった。

救いの手を差し伸べようとしてくれた大人の存在が、たとえ赤の他人であったとしても、唯一の希望である彼女たち。

そんな看護師さんと出逢い、看護師を目指すようになる鈴乃さんの話は特に印象的でした。


パートナーによるDVの末の早産。

脳性麻痺を抱えて生まれてきた子どもを育てながら定時制高校を卒業し、看護学校を目指して塾に通いつつ生活のためにキャバクラで働き、やがて看護師になる鈴乃さん。

過酷な働き方をする一方で、それでも週末になれば、車椅子のわが子を連れて、さまざまな場所へ出かける。

その尽きることのない力を、愛と呼ばずして何と呼べばいいのでしょう。


まだ少女といっていい年齢で妊娠し、出産し、慰謝料や養育費も受け取れないまま、「昼間は子どもと一緒にいるために」あるいは「生活のために」夜に働く彼女たち。

自分を削ることだけが愛ではないけれど、誰かのために差し出す時間のなかに、確かに愛はある。

自分はどれほど家族のことを想えているだろう。

疲労を理由に怒りの沸点が低い日が、一体どれだけあるだろう。情けなくて泣きたくなります。


初版から約十年。

おそらく私より年下で、でも母としては先輩の彼女たちが、いまもどこかで笑って暮らしていてほしい。

そんな祈りを捧げながら、本を閉じました。


紋佳🐻

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