『ははがうまれる』


多くの人のトラウマと向き合ってきた精神科医が、自身の経験や専門知識も交え、子育てのこと、母親を取り巻く様々な問題について、やさしく語りかける。

赤ちゃんの泣き声にイライラしてしまう、
ママ友付き合いで自分一人がはずれているように感じる・・・。

日常の小さな悩みや違和感、言葉にならない気持ちを丁寧にすくい取り、そこから抜け出すヒントを提示。

月刊誌「母の友」連載時に多くの共感を呼んだ、エッセイ集。


『宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩がある。
知らない人がいないくらい有名な詩である。
私は、この詩があまり好きではなかった。なんだか、強くなるべく、いつもがんばらなければいけない感じがして、疲れるなあと思っていた。』

から始まるエッセイが特に素敵でした。

『先日友人の家に遊びに行ったら、その詩が全文書かれたのれんが台所にかかっていた。(略)
そのとたん、詩全体が心にしみわたってきた。
「そういう者に私はなりたい」
つまり、「私はそういう者ではない」のだ。』

目からウロコでした。

『雨にも負け、風にも負け、雪にも夏の暑さにもすぐめげてしまう人。
身体は虚弱なのに、ついつい欲を出してしまう人。
すぐに怒り出したり、よけいなことをしゃべってしまう人。(略)
つまり、それは煩悩だらけの私たちのことなのだ。』

「私もなりたい」と言っているわけなので、現状を肯定するわけでも、そのままでいいと言っているわけでもないのだけれど、

己の愚かさ、未熟さを「認めた上で」・・・というところが大切なんですね。

子どもを叱る時、大人は自分を棚に上げていてはいけない。

「雨ニモマケズ」の詩にあるように、常に自分の未熟さを受け止め、認めた上で、子どもと向き合うこと。

子どもを叱らなくてはいけないシチュエーションで、そう意識することは限りなく難しいことかもしれないけれど、

『そういう者に、私はなりたい。』と、思いました。


ほかにも素敵な文章がたくさん。

『いや、子どもだからこそ、秘密は大切かもしれない。
相対的に無力な子どもは、大人に対して、「隠す」という手段でしか、自分を守ることや抵抗することができない。』

『見守ることと見張ることの違いは、どこにあるのだろう。
どちらも子どもの安全を願っての行為である。
けれども、一つには大人が子どもを信頼しているかいないか、もう一つには大人が社会を信用しているかいないかという違いがそこにはありそうだ。』


大学教授であり、精神科医師であり、母である宮地さんの気づきの数々。

どれも素敵な随筆でした。


紋佳🐻

読書